Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

第三子が欲しいと言う同僚の話を聞きながら思ったこと

相手を選んだ話題を心がけたい。というより、相手に応じて話題を選びたい。相手に応じて話題を選び、お互いが気持ち良く話せるようにするには、様々なことに対する関心と知識が必要で、相手に対する想像力と共感を持てるようでなければならない。 

先日、職場の同僚がその夫の愚痴と、第三子が欲しいという話を延々とするのをうんざりしながら聞いていた。

うんざりしてしまう自分って度量が狭いな、と思いつつ、もし話す相手が私ではなく不妊症で悩んでいることを公言している女性だったとしたら、同僚は第三子が欲しい話を延々としないよう配慮したのだろうか、と思う。

私はその同僚に自分の現在の状況は伝えてある。私にも子供は1人いるけれど、年齢的なことや経済的なこともあるし、今後望んだとしても第二子も三子も現実的には難しい状態であるのは容易に想像出来るはずだ。

私は現在第二子や第三子を特に望んでいるわけでもないけれど、赤ちゃんが大好きな幼い娘を見ると、弟や妹が出来るかもしれないという希望すら与えられない状況を寂しく思うことはある。

第三子が欲しいと願うこと自体は少子化の昨今日本では歓迎される考えだと思うし、もちろん悪いことでもないけれど、話す相手をもう少し選んで欲しいと思った。調子を合わせてただ聞いていて、この日の私は非常に疲れた。

同様のことはよくある。「自分自身は望める(現実的に手に入れる可能性のある)こと」であったとしても、話す相手にとって「望んでも手に入れられる可能性が無い、もしくは薄いこと」であった場合、話題として出すのはふさわしくないのではないか。

例えば、ボーナスが出ない人がいる前で、もらえる人が「ボーナスが楽しみだ」などと言うようなもので、この例え以上に酷い例のほうがむしろたくさんある。