Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

捨てられない証拠と裁判傍聴

年末、片付けの時期に一掃したいものは何よりDV夫との記憶だけれど、それは同時に忘れてはならないものなので、捨てるわけにはいかないものだ。むしろ、何よりも覚えておかなければならないもの、記録かつ保管しなければならないものだ。

私の携帯電話には、機種変更をした現在でも夫からのメールを引き継いで残しており、バックアップもとっている。夫と暮らした日々の家計についても、いつ何を言われるかわからないと思うと、僅かながら手元にあるレシートすら捨てにくい。(私が節約を心がけていたことを証明出来る可能性があるので)。録音した音声データもわざわざ何度も聞き直してテキスト化しているし、調停委員や弁護人に提出しているワードで作った資料は膨大な枚数に上っている。夫から送られたものも、捨てたいのは山々だけれど、捨てたことを何かの折に非難される可能性を考えると捨てられない。

このようなことは、別居してもなお多く続く不自由のうちの一つだ。

先日、同じくDVに遭い別居・裁判中の友人の裁判を傍聴してきた。「今後の参考になるかもしれないし、良かったら来てね」と声をかけてくれたのが本当に有り難かった。

傍聴させてもらったのは友人が実際に証言台に立つ本人尋問で、友人のDV夫も証言台に立った。友人がDV夫と裁判に至った経緯などより深く知るところとなり、被告である友人のDV夫の空々しい発言にはもちろん怒りを覚えたけれど、自分が受けた被害をただならぬ緊張感の中で、日時まで正確に話すことを友人に強いているのも目の前にいる被告なのだと思うと、悔しくて涙が出た。裁判官や被告の弁護人の淡々と続く質問に、泣き出すこともなく落ち着いて答えていった友人の姿に感動し、心の中で拍手を送りつつ傍聴した。

ひどい記憶は忘れたいものである。記憶を忘却することによって自分をかろうじて保ち、守っている場合もある。それなのに、裁判になると、毎日詳細な日記でも書いていなければ普通は覚えていないようなことまで質問されるのだ。裁判に臨むには、入学試験や就職試験に臨む時のように、記憶することが必要だ。そして入学試験や就職試験のように他に替えることは出来ない。

裁判を傍聴するには、事前申し込みなどの特別な手続きは必要ない。公開裁判は原則誰でも傍聴することが出来るものだ。友人のDV夫も、私のDV夫と重なるところがあり、傍聴するのは自分の裁判のように辛かったけれど、やはり裁判に突入し、本人尋問の可能性がある人は他の人の離婚裁判を見ておいた方が参考になって良いと思う。

私の場合、普段着で行ってしまったけれど、黒いスーツなど着て行けば目立たず良いと思う。平日なので、仕事をしている人は仕事を休んでいく必要があるかもしれないし、自分が関わっている裁判所ではなく、別の裁判所で傍聴した方が良いかもしれない。

友人も友人のご家族も、「(被告は)何をするかわからないから、念のため私たちとは関係の無い人のフリをしてくださいね」と配慮してくれたため、裁判後は友人と言葉を交わすこともなく裁判所を後にした。

自分にもっと精神的な余裕が出来たら、他の離婚裁判も傍聴し、家族問題について考えていきたい。