Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

心理学化した社会

「AC」や「PTSD」「トラウマ」「フラッシュバック」という言葉は大衆化され、精神科医でなくとも多くの人がそれが意味するものをイメージできる。私の周辺には精神障害者として手帳を持つ子が以前から何人かいたけれど、DVやモラハラの被害者との集まりに出るようになってからは、上記のような言葉がますます身近に感じられるものとなった。

かつて私は小沢牧子著『「心の専門家」はいらない』という本を読み、「心の専門家」に対して自分が感じていた胡散臭さを著者の言葉で確認できて以来、「心の専門家」には距離を置いてきたのだけれど、DVやモラハラの被害に遭い、相談履歴を残すという証拠づくりの必要もあって様々なところでカウンセリングを受けた。良いカウンセラーもいたにはいたが、二次被害を受ける場合もあり、心療内科に行ってみた時もひどい体験をした。心の問題を勉強したという家庭裁判所調査官には正直鬱陶しさを感じたけれど、立場上それを前面に出すことは出来なかった。結論として、「心の専門家」は完全否定しないけれど、自分自身に理性や判断力が残っていると思えるなら、自らが本を読み勉強することで自分のカウンセラーになることもでき、その方が下手な「心の専門家」にあたるよりずっと有効な場合もあると思った。

以前から書く文章が好きだった精神科医が二人いる。斎藤環香山リカ斎藤環心理学化する社会』を読んだ。一番最初に挙げたような言葉が社会に氾濫し、専門家がバラエティ番組でわかりやすく解説するようなこともあるので、素人が中途半端な知識でもって「虐待は繰り返される」とか、「母子家庭で育った子は●●」みたいに家庭環境が子に及ぼす影響について乱暴に推測したがることがままある。女子のあこがれの職業としてカウンセラーが上位にあがってきたり、トラウマの物語をとりあげるミュージシャンの人気が出たり。DVやモラハラの被害者の集まりでは自分自身のことをACと説明する人も少なくなく、自分自身の親との関係から今にいたるまでを延々と話す人もいる。そういう風に心理学化した社会について違和を感じている人にはおすすめの本だ。斎藤環「人々が心理学や精神医学を求めることはやむを得ないとしても、その不確かさや限界を、内側から示しておくことには意味があるはずだ。有効なものには必ず副作用があり、また固有の限界がある。」心理学化のゆきすぎや、ある種の対抗に注意を促すというある種の使命感によってこの本を書いたとのことだ。

心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか

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「心の専門家」はいらない (新書y)

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