Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

幸福の持つ攻撃性

近藤ようこ『悲しき街角』という漫画を読む。収められていたエッセイ「ミッキーマウスの謎」が面白かった。新婚夫婦の住むマンションの窓に大きなミッキーマウスとミニーマウスのねいぐるみが、窓の外に向けてディスプレイされていた話だ。つまり自分たちのための飾りつけではなく、広く世間に向かって「わたしたちは新婚旅行でディズニーランドへ行ってきたばっかりの新婚なのよー」ということを宣伝しているというわけである。

近藤ようこさんは、ミッキーマウスの新婚妻は、「幸福」の持つ攻撃性に気づいていないということを指摘する。「幸福の持つ攻撃性」、なるほどと思った。別に私がモラハラ被害を受けたから被害妄想に陥っているわけでもなんでもなく、学生の時から感じていた「違和感」なのだけれど、「幸福の持つ攻撃性」というようなぴったりくる言葉をみつけることができずにいただけである。

ただ、ひとり親になって以来、いわゆる普通の家庭のお母さんと会話するとき「幸福の持つ攻撃性」をより多く感じるようになったことは確かだ。別に特別気を遣ってほしいわけでもないし、人の幸福話を心から喜べることもあるのだけれど、聞く相手がどう思うかということをこの人は考えているのかなぁ、と思うのだ。

もうひとつ、大塚英志『見えない物語<騙りと消費>』を読む。ラフカディオ・ハーン『日本の面影』の中に、子どもにはたった一日、自分の前世を思い出して、その話をする日があるということが書かれているらしい。子どもが二歳になる当日、家のいちばん静かな場所に連れて行って母親が「お前の前世は何であったか」と聞くと、ひとことだけ謎めいたことばを口にするという。幸い、うちの子は二歳になる前なので忘れなければぜひ試してみたい。

見えない物語―〈騙り〉と消費

見えない物語―〈騙り〉と消費