Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

学資保険

子どもにお金をかけるのは、やめなさい

子どもにお金をかけるのは、やめなさい

私はFP3級の資格を持っています。現実の生活に役立つかなと思ってこの資格の勉強を始めたものの、勉強をはじめてちょっと違うかなと思いました。ただ、せっかくテキストと受験料を支払ったので、受験して合格しました。

私は、自分の経済状況が並み以下と思っているので、一般向けのマネーセミナーに行っても気おくれするだけだろうと思っています。貯蓄の本とかも、敬遠しています。

でも、子どもを養う責任がある以上、経済のことを全く考えずに生活するのは気がひけます。

そんな私が読んでみてもよいなと思えたのが横山光昭著『子どもにお金をかけるのは、やめなさい』でした。

子どもに期待して子どもにお金をかけると、過度な期待を親が抱きがちになり、その期待が重圧という形で子どもに伝わる、いくら良かれと思っても、期待をこめてお金をかけることは、結果的に子どもを「投資対象」と見ているのと同じになってしまう、とのこと。

うちは、子どもに習い事をさせていないのですが、小学生にもなるとほかの子は何かしら習い事をしています。でも、皆しているからと、子どもの習い事のお金を捻出するために、貯蓄ができなくなったり、極端なまでに切り詰めたり、果ては借金をしたりするのは本末転倒です。と、著者は言います。お金をかけられない分、親が子どもに寄り添えば十分なのかな、と思いました。

著者は小学生のうち、お小遣いは高学年でも1000円以内で良いと言っています。お小遣いは多すぎても少なくても良くないとのこと。子どもに金銭感覚を身に付けさせるのも親の大事な仕事です。

著者には5人のお子さんがいるとのことですが、金銭教育の一環として、「家族マネー会議」をしているとのこと。給料日の直後に、今月の収入と支出を公開し、家計の実情を率直に子どもに伝えるというものです。収入から経費を差し引いた残りのお金をどのように使うかも話し合い、欲しいものがある人はその値段や買いたい理由をプレゼンするというもののようです。もう少し娘が大きくなったら、我が家でも取り入れてみたいと思いました。

一番気になる大学の費用ですが、子どもが私立大学(医学部など以外)に行くとすると4年間で500万円なので、毎月2万3千円ほどを大学入学までの18年間で積み立てたらよいとのことです。それが難しければ、大学入学までに300万円を目標にしても良いようです。子どもの現在の年齢にもよりますが、0歳から300万円を目標に貯めるなら月1万4千円です。

私は娘の学資保険を0歳の時から払っているのですが、普通の貯金だったら、家の取得費用に充てていたかもしれないと思います。

少ない収入の中からだと捻出するのが大変かもしれませんが、学資保険に入っているおかげで、少し気持ちが楽になっているのかな、とも思うので、学資保険、シングルマザーにもおすすめです。

と、ここまで書いて、私がもし2人以上の子を持つシングルマザーだったら、と考えてみたら、2人以上の子に学資保険をかけていくのはとても大変そうだと思いました。そう思うと、国公立大学だけでも無償化となったら良いのになぁ、と切に願うばかりです。

宗教と医者

好きな人が何人かいる。その人の言葉を聞くと元気が出たり、希望が湧いたりすることがある。その人の考えをを素晴らしいと思い、その人が存在している(していた)ということだけで救いになる。
その人は、身近な恋人であったり、師であったり、会ったこともないミュージシャンだったり、もう死んでしまった作家であったり、様々だ。きっとそれが、なにかの宗教の教祖である場合もある。誰かの言葉が救いになるという実感があるので、何かの宗教を信奉している人の気持ちというのは何となくわかる気がする。
福祉の仕事をしていると、大変な思いをした人は、宗教にハマることも多いのかもしれない、と実感する。私も、自分の力ではどうしようもない無力感を持った時、理不尽なことにどうしても納得できないとき、言葉を探して、多くの本を読んだ。
関係ないようにみえるけれど、私は先日、病院で、2週間、自然には治癒しなかった身体の症状(鼻水が止まらない、嗅覚がなくなったこと)に、病名をつけてもらった。症状の理由を実際の映像(鼻腔内の膿)で確認し、ほかの症状(頭痛と眼痛)も医者に言い当てられ、薬の塗布等の処置をしてもらい、どうしたら治るのか方向性を示してもらった。この医者に救われたと思った。きちんと指示に従おうと思った。宗教と、ちょっと似ていると思う。
医学は科学的に基づくと言われているけれど、心理的なことも、人の状態に大きな影響を与える。それを示すデータも膨大にある。
宗教は、それを信奉する人にとって、病を治療する医者と同様、必要なものなのだろう。
宗教の何が問題かと考えると、ほかの考えには耳を傾けないようになる人がいること、その宗教(考え)にはまり込んでしまう人がいること、他者に強要してしまうことなのかな、と思う。排他的な部分や、集団圧力がない宗教なら、それほど害にはならない気がする。
きっと私は今日も仕事に行った先で宗教を勧められるのだろうな、と思いながらこんなことを考えた休み時間でした。

HSPとHSC

HSP(Highly Sensitive Person)という言葉は、アメリカの心理学者、エイレン・N・アーロン博士が1990年代に発表した概念だ。

生まれつきとても敏感な感覚、感受性を持った人たちのことで、子どもの場合は、personをchildに変え、HSCと呼ぶ。

HSPやHSCは、医学的な概念として認められたものではなく、精神科や神経科心療内科にかかっても、HSPやHSCと診断されることはない。

私はこれまでこの言葉を知らなかったけれど、まさに娘のことだと思った。私は自閉スペクトラム症について、よく勉強している方だと自分で思っている。そこで、素人ながら娘は自閉スペクトラム症ではないと判断していたものの、娘の過敏さについては、少し心配していた。発達検査を受けさせてみたい気持ちも山々だったけれど、誰でもすぐに受けられる検査ではないだけに、本当に必要な子が優先して受けるべきと、発達相談は控えていた。

長沼睦雄著『子どもの敏感さに困ったら読む本』を読み、まさに娘のことが書いてあると思った。

よく泣く赤ちゃんだったし、人一倍こわがり、褒めても喜ばない子だ。

例えば、褒めても喜ばないことについては、「本質を見抜く」資質があるからと表現されている。言葉の本質をつかみ、本当にそう思っているのか直感的に見抜く。相手が何を期待しているかを察して頑張ってしまう。こうしなくてはいけないという過剰な責任感を負ってしまうようだ。

褒める側は知らず知らずにプレッシャーをかけていることになり、ソフトな支配、やさしい虐待に発展する。褒める代わりには、存在の肯定をスキンシップで表現する。つまり、ギューっと抱きしめるのが良いようだ。私自身の実体験からも、すごく腑に落ちる説明だった。

HSPやHSCは、人種・民族に関係なく、どの社会にも5人に1人くらいの割合でいるようだ。親が非HSPの場合、HSCの子どもは「難しい子」に見えることがある、とのこと。私も以前ブログに『育てにくい子』という娘に関する記事を書いたことがある。私自身は、非HSPなのだろう。

HSPや、HSCの特徴は以下の4要素だ。

1..深く処理する

2.過剰に刺激を受けやすい

3.全体的に感情の反応が強く、特に共感力が高い

4.ささいな刺激を察知する

共感力が高いのかどうかは、よくわからないけれど、ほかは娘に全て当てはまると思った。

本にはHSCの子を待つ親向けに、多くのメッセージが書かれていたけれど、心に残ったのは、子どもを信じることが大切ということ。過剰に心配せず、程よい距離感をもって見守って行きたいと思う。


家族写真

私の手元に、いとこの結婚式の集合写真がある。私の離婚前、元夫との同居時代、関係がどんどん悪化し、一緒に過ごす時間が苦痛でたまらなかった頃、いとこの結婚式のために、娘と2人だけで新幹線に乗り東京に行った。6年前のこと。自分のことで精一杯だったけれど、いとこを祝福したかった。いとこの相手方の親族と私たち親族で一緒に写っている写真は、皆笑っている。

その後、いとこは離婚したので、相手方の親族とは、今後会うことはないだろう。そして、そこに写っている私の母の再婚相手と母も別れた。やはり、もう会うことはないのだろう。

この写真を処分したら良いのかどうか迷う。娘も写っているが、彼女の人生の一ページとして残してあげるべきなのか。

私自身は、笑っていて、少しキレイに写っているけれど、私自身の人生の一ページとしても、記憶や記録として留めておくべきなのか。

私と元夫と娘と、3人で写っている写真は記憶している限り、ワンショットしかない。娘を命名した時。生まれた時から関係が悪かったので、3人で写真を撮ろうという機会はほぼなかった。

よく、片親や両親ともにいない子どもが、家族皆で写っている写真をみているシーンがドラマや映画には登場するけれど、娘にはそんな3人の思い出を思い出すことはできない。

その3人で写っている家族写真は、服も普段着で、それほどステキなものではない。その写真を撮った時も、夫婦関係は悪かった。娘を愛しているという私と元夫、双方の気持ちがあったので3人での写真が実現した。

その写真は、きっと娘にとって、意味のあるものだろうから、いつ見せることになるかわからないけれど、保存しておく。

冠婚葬祭とは、そういうものなのだろう。複雑な人間関係をさておいて、個人的に、その主役となる人のために、様々な人が集い、演じる。

私たち3人の家族写真は、娘という主役のため、私と元夫、撮影する私の母が、複雑な思いを抱えつつ撮ったものだ。

例えば結婚式は、結婚する2人が主催しているのかもしれないけれど、まわりは、そのイベント参加しているだけという体で呑気に過ごすわけにはいかない。当人たちが望むように多少なりとも演ずる必要がある。新郎の上司として、新婦の恩師として、新郎の親友として、新婦の父として、など、あてがわれた役割を精一杯演じる。意外とハードな仕事だ。その時、個人的な負の感情を決して出してはならない。私も、離婚の危機の最中にありながら、精一杯明るく新婦のいとことして振る舞っていた。

葬儀にしても、例えば、分かれた恋人なり、愛人、愛人の子、犬猿の仲の親族同士など、本来会うことのないもの同士が集まる、ほかに類を見ないイベントだ。そこで打ち解けるきっかけが生まれたり、知りたくもないことを知ってしまったりと、更なるドラマが展開する。しかし、その場では感情をぐっとこらえる必要がある。

そういえば私は、昔の、祖父母の若い頃の結婚式の集合写真なんかをアルバムでみながら、直接的には知らない親戚の昔話を聞くのが好きだった。ドロドロした内容もドラマとして面白がって聞いていた気がする。

と、思うと、娘も、ドライにいとこの結婚式の写真をみながら、エピソードを面白がって聞くのかな、という気になってきたので、一応いとこの結婚式の集合写真は保存するとこととしよう。

子どもが病気のとき

風邪が流行りはじめている。

シングルマザーやワーキングマザーは、自分が病気になった時も、子どもが病気になった時も本当に大変だ。

私の職場は福祉施設だ。ご利用者さんのご家庭は、少しの体調悪化で欠席させるご家庭と、どんなに体調が悪くても欠席させないご家庭とに別れる。その差は、その家庭に余裕があるかないかということに関連していると思っている。

職員としては、休ませてあげたら良いのに、と思うし、感染が疑われる病気の場合は、ほかのご利用者や職員のことも考えて欲しいなぁ、と思う。

一方で、シングルマザーとして保育所や小学校に通わせていると、いつでも急に仕事を休めるわけではないので、子の体調が少しくらい悪くても、家で看病したい気持ちは山々でも、登園・登校させることはある。

保育所の先生から「お休みさせた方が良いのではないですか」と言われた経験もあり、母親としてバツな行為だなぁ、と自分で思ったり、保育所の先生からもそう見られていることは、わかっていた。

病気の子どもをみてくれる病児保育施設は、ほぼいつでもキャンセル待ちだ。前日から病がわかっている場合は、人気アイドルのコンサートチケットを取る時のように病児保育施設に電話をかけまくり、話し中が終わり、電話がつながるのを待つ。30分くらいつながらないこともあった。結局、病児保育施設を利用できない時は、職場に恐縮しつつ休む旨連絡する。次の日出勤できる保証もない。

運良く病児保育施設を利用できることになっても、病児保育施設は、家の近くでもないので、仕事は遅刻。病の子を人混みの中歩かせるわけにも行かないので、タクシーなんか利用して、預けに行き、利用時間も限られているので仕事を早退し、迎えに行く。もちろん病児保育の利用料もかかる。

自分が抜けた分、職場ではまわりの人に多少なりとも迷惑をかける。

そうして、疲労がたまって抵抗力も落ちて、自分も病にかかったり、、、。

職場で、同僚が利用者さんをみて「こんなに具合悪そうなんだから休ませてあげたら良いのにねぇ」と言うのを聞いて、「ねぇー」と頷きながらも、私はお母さんのことを考えてしまうのだ。休ませられるなら、休ませてあげたいはずなのだ。


私の父について

子に父親がいない。正確にはいるけれど、別れているということがシングルマザーの悩みだ。

私の娘も父親が欲しいようで、そのことが私の悩みだ。

父親とは何かを考えるにあたり、まずは自分の父親について考えてみた。


・私はひとりっ子だ。両親は中学3年の時に離婚した。父は、私に積極的な関わりをあまり持とうとしなかったけれど、私が、必要な時、求めた時に、できる範囲のことをしてくれた。私が何をしても受け止めてくれるだろうという安心感があり、私は父にまったく気を遣ってこなかった。何をしても受け止めてくれる、というところは、最近老化や飲酒により少し揺らいでいる。

・精神的には、大きな支えであるとは思うけれど、頼りになる存在かというとそうでもない。母のほうが頼りになる。

・父から時々ツイートのような、何かについてこのように考えている、という独白のようなものがメールで送られてくることがあり、私は特に感想も返事も送らないことが多いけれど、父からも特に求められない。

・私は父にお願いがある時にだけ連絡をとっている。甘えているのだろうと思う。

・父の存在感は私がもの心ついた時から薄かったけれど、ひとり親になって1番助けになったのは、父の存在だった。私が忙しかった3年間。娘の保育園の迎えから夕食作り、寝かしつけまでの仕事をほとんど父に行ってもらった。とても感謝している。

・両親の離婚前、私が父と一緒に暮らしていた頃、父は朝早い仕事だったので、母が仕事で遅い時、夕ご飯を作ってくれたり、私の塾の送り迎えをしてくれていた。

・父は、イメージとしての父らしく強い強制力で私に何かを強いたことはなかった。私は祖父母や叔父の父としての振る舞いを見るにつけ、本や映画に登場する父をみるにつけ、父は変わった父なのだと思っていた。そして、自分なりに現実の父とは違う、父というもののイメージを持っていた。

・私は気質的に、母よりは父に似ているという自覚があったので、たまに私から話し相手になってもらおうと父の部屋に行き、気持ちや考えを話した。話し合うことでなんとなく気持ちを落ち着けることが出来たり、新たな視点を得られていたと思う。

・父から叱られた記憶はほとんどない。かといって楽しいことを一緒にしていたかというとそうでもない。山登りやサイクリングに一緒に行った記憶、片道半日以上かかる父の実家に一緒に車で行ったとか、そんな記憶はある。

・私が幼い頃は、絵本を作ってくれたり、シルバニアのお家を作ってくれたりした。私が本を2冊読むと1冊買ってくれた。ごくたまに、オススメの本をくれた。モモや、ゲド戦記や、リルケの本等々。


そんなところか。また思い出したら追加してみよう。


今度は、私の持っていた父のイメージや、義理の父ではなかったけれど、母の再婚相手との関係も書いてみようと思う。

11月9日

18時45分、家に帰宅。

色々あった日だったので今日一日を記録しようと思う。


・日の出前に目が覚めて、昨晩みた『リトル プリンス 星の王子さまと私』について記事でも書こうかと思い、チョコレートを食べて起きようとするも、二度寝

・今度は娘と同時くらいに目が覚める。毎朝、ギューして、と言われるのでギューしていたけれど、そのうちにまた眠くなるので、「パンプキンパイを作ろう!」と声かけし、2人で起きる。食べ物の話をすると、たいてい起きてくれる。

・北海道の美味しい南瓜とじゃがいも をハロウィン前にもらっていたのに、包丁を入れるのが面倒で南瓜のみ丸ごと残していた。

・じゃがいもは使い切っている。フライパンを熱し、オリーブオイルにガーリックで香りをつけて、唐辛子と茹でたパスタとじゃがいもを投入し、塩で味付けしただけの、ほぼ炭水化物のパスタが本当に美味しかったのは、じゃがいもの美味しさによるのだと思う。

・パンプキンパイは、本当に美味しく出来た。これも、南瓜の美味しさによると思うが、フィリングが大量にあまり困る。冷凍パイシートがもっと欲しい。

・パンプキンパイが朝食。娘はおやつみたいと言ったが、南瓜は野菜なので朝食で良い気がする。マーマレードジャムをつけたバター付きパンもおやつとの境がわからない。ミートパイなら、朝昼晩の食事感が大きい。

・パイを焼いている間に、娘はお勉強。Z会の親向けの指導指南冊子を私もなるほど、と思いながら読んだりする。

・秋服だけでは寒くなってきたので冬服を出してみたけれど思ったより少なかった。買い足す必要がある。

・パンプキンパイに使った艶出しの卵、生クリームなどがあったので、ついでにスイートポテトも作る。裏ごしの手間を省き、多少ごろごろでも良いと思ったけれど、娘はしっかり裏ごしをしようと言った。そう、手間をかけた方が美味しいのは確か。

・パンプキンパイとスイートポテトで、かなりお腹いっぱいになってしまい、自転車で出かけることにする。目的は、娘の学芸会用の黄色い服を探すこと。

・ひたすら西へ30分ほど。きれいな服が多い古着屋に到着。私も服をみる。おばさんなので、可愛い系はやめようと思った。スカートもロング丈が似合う年齢だ。娘も私の好みをなんとなく把握してくれており、「これは?」と出してくれる。結局娘の黄色い服はみつからず。

・シングルマザー仲間の親子に偶然出会う。半年ぶり。喫茶店に行って軽食を食べながら話す。彼女はアパレル関係の仕事をやめ、職業訓練で介護技術を習得、介護の仕事をする予定らしい。今後必要になってくるお金について細かく計算できて、お金に関する知識も豊富な彼女は、事務職にもすごく向いてそうだと思ったけれど、経験がないからと諦めていた。かしこくやりくりする方法を聞き、自分は今の職場でむだに頑張りすぎてる気がちょっとした。

・親子と分かれ、おじいちゃんの家に移動。途中で、元夫と遭遇。目も合う。直進してる我々母子の前を元夫が横切った。ファッションも風貌もそのまま。紛れもなく元夫だった。すぐに目を逸らし直進。曲がり角をあみだくじのように曲がりつつ、時々尾行されていないか確認した。昔の私はメガネをかけていなかったし、私とは気付かなかったのか、追いかけてはこなかった。

・娘はついこの間自転車に乗れるようになったばかりなのに、今日はトータル約80分ほど自転車に乗った。娘の成長を喜びつつおじいちゃんの家に到着。

・おじいちゃんは、明らかに酒を飲んでいた。酢豚とかき玉汁、ビールを用意してくれていた。しかし、色々話が噛み合わず、伝えたことも忘れており、私はイライラ。話が、どう噛み合っていないか説明し出すと向こうもキレた。責めているわけではなく、悲しいのだということを伝えたら、どうでもいい、と言われた。関係を悪化させたくないから帰ってくれと言われ、娘を託し家に帰る。出されていた缶ビールは貰って帰った。

・帰り道、夜道の自転車は、本当にライトが重要と思う。あまり人のいない通りを選びつつ、私は人とうまく付き合えない人間なのだろうか、と少し悩んだ。

・帰る途中、北海道の南瓜とじゃがいもをくれた年上の友人から今度一緒に夕食を、と誘いのメールがあり、なんだかホッとする。


以上、119の日。水晶の夜の日。ベルリンの壁崩壊の日。


思ったのは、狭い街とはいえ、1日に、まったく思いがけない場所で知り合い2人に遭遇する確率は、どのくらいなのかなぁ、ということ。

いそうな場所で誰かに出会うことならよくある。でも、今回は、どうしてこんな場所で、というところだったので、今日という日に少し意味を感じました。