Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

婚活とフェミニズム

ローンは残っているものの、家を購入して、出てきた新たな悩みは、娘にお父さんがいないこと、でした。娘の『お父さんが欲しい』という言葉もきっかけとなり、私も恋人が欲しくなりました。
それで、婚活してみようかな、という気になったりもしたけれど、気持ちは揺れていて、今朝早起きして遙洋子著『結婚しません』を読みました。
恋愛や男女の心理についてのハウツー本を読みつつ、婚活に気持ちが揺れている自分の気持ちを落ち着けるために、それと正反対のフェミニズムっぽい本を読んでいるという状況が、私の近況です。

結婚しません。

結婚しません。

婚活に興味あり

ここ最近仲の良い夫婦を多くみており、結婚や出産の知らせも多くなり、なんとなく疎外感を感じている。
私も借金を返済し、再就職し、家も購入し、当面の目標を果たしたので、今までのように、過剰に男性を警戒しなくても良いのかな、という気になってきた。それでも、ステップファミリーは難しいぞ、と思ったり、やっぱり男性が怖かったりでなかなか行動する気にはなれない。
『婚活したらすごかった』という本を読んでみた。なんか婚活も面白そうだと思ったけれど、やっぱり休みの日は娘とのデートで忙しいので無理かな、と思った。

婚活したらすごかった (新潮新書)

婚活したらすごかった (新潮新書)

児童虐待とひとり親

最近も話題性のある児童虐待のニュースがあり、世間は思い出したかのように憤っていたけれど、もう随分前から頻繁に児童虐待のニュースはあるわけで、この騒ぎも一時的なのだろうな、と思ったりしていた。その後、地震があって、関心はそちらに移ってしまったのかな、と思ったりもしている。

下書き記事がたまってしまったので、下書きは消去し、新たな記事を上書きしようかと3年前の下書き記事をみたら、自分が児童虐待に関心を持っている理由が書かれてあった。

子どもという大人と力関係において対等ではない存在のあらゆる可能性を秘めた人生を破壊するという痛ましく忌むべき犯罪であるため

家庭という密室の中で行われる犯罪=DVであり、夫婦間DVとの共通点も多いため

児童虐待の加害者に離婚経験者やシングルマザーが多いという報道をふまえ、シングルマザーとして加害者になりたくないという恐怖心があるため

DV夫と裁判で争うにあたって、何を児童虐待と呼ぶのか知っておかなければならないという義務感があるため

とのこと。

私が3年前、続けて何を書こうと思っていたかはわからない。改めて今現在思うのは、特にひとり親は、児童虐待について知識を持っておくべきということ。

再婚する際参考にできる知識だと思うし、再婚しない場合であっても、もし、子どもを自分が虐待することになってしまったら、子どもを苦しめるし、そのことにより自分自身も苦しむことになるから。




 

フェミニストカウンセリングのこと

そういえば、このブログに大事なことを書くのを忘れていた気がする。私が、夫のDVに悩んでいた時、知識や経験不足による相談員の心無い言葉に傷を受けていた時、フェミニストカウンセラーだけが安心できる支援者だったということ。

フェミニストカウンセリングは、女性のための女性によるカウンセリングで、「女性の生き難さは個人の問題ではなく、社会の問題である」というフェミニズムの視点を持ったカウンセリングだ。個人カウンセリングだけではなく自己尊重トレーニングなどにも力を入れている。

私は個人カウンセリングを受けたことはないけれど、フェミニストカウンセラーの講座に何度か参加し、直接質問などして問題解決のヒントを得たり、勇気付けられたりしてきた。

今、なぜフェミニストカウンセリングのことを思い出したかというと、自分自身の問題がある程度解決したら日本フェミニストカウンセリング学会に入ってフェミニストカウンセラーの勉強をしたかったからだ。

私自身の問題は、ひと区切りついたかなと思っている。フェミニストカウンセラーになりたいという考えは今はないけれど、フェミニストの視点を持ったカウンセリングについては今後も学んでいきたい。そして、なんらかの活動に活かしていきたい。

今問題を抱えている人には、ぜひフェミニストカウンセラーに出会ってほしい。

日本フェミニストカウンセリング学会 公式サイト

 

 

建設的な怒り

下書きのまま終わっている記事にこんなものがあった。

仮にも世界史や日本史を学び、テレビのニュースを耳にし、世の中本当にひどい人間がいるということは学んでいたはずである。でも、実際、現実の私の生活空間の中には彼ほど悪質な人間はいなかった。この年になってようやく世の中にはひどい人間がいるということを実感として得られたということは幸か不幸か。今後物事を考えていく際に深みが出るのなら幸いだ。

エドワード・サイードは、「自分には怒りはあるが、憎しみという感情はあまりわからない」と言っている。憎しみにくらべて怒りは建設的であると。なるほど、怒りと憎しみと現在混在した私の気持ちは、建設的な怒りに持っていきたいと思う。

銃により安心が確保できるどころか、むしろそれが不安を掻き立て、さらにみずからの暴力性を引きずり出すというようなことになっては、彼と同じ穴のむじなだ。

以上が、下書きのままに終わっていた書きかけ記事だ。このあと、何を書きたかったのかは思い出せない。

現在の私は、元夫に対する憎しみはほぼないかな、と思う。また元夫に会ったりしたら復活してしまうのかもしれないけれど、怒りもほとんどない。過去を思い出すと、残念な気持ちというのが怒りより大きい。

そして、たまにDVの渦中にある人の話を聞くと、その相手に対する怒りが湧き上がるといった感じだ。

これでいいのかな、と不安になる。

建設的な怒りを保ち続けることのほうが辛いけれど、あえてそうして闘ってきた人たちの成果を受け取り私は生きているのだし、自分の経験を活かし、次の人にバトンを渡して行きたいな、と思う。

子どもの前で笑顔でいること

2014年にNHKで放映されたらしい番組『君が僕の息子について教えてくれたこと』をDVDで観た。こういう番組がテレビで放映されているのかと思うと、テレビのある生活も良いのかなと一瞬思う。

東田直樹著『自閉症の僕が跳びはねる理由』は、自閉症を持つ人がどのようなことを感じているのかを綴ったエッセイだ。2007年に発行された本だが、未読なので早く読みたい。

自閉症の人と接する機会は今までに何度かあったし、自閉症と思われる人はよく電車の中などでみかける。自閉症について教科書的な知識は何度も読んだけれど、よくわからなかった。そして、よくわからないだけに、半ば恐る恐る接してきたと思う。この番組を観て、「そうだったのか」とやっと思うことが出来た。そして、今まで抱いてきた恐れは消えた。

この番組は、東田さんの著書を翻訳したアイルランドの作家デイヴィッド・ミッチェルや、東田さんの著書に希望を見出した世界中の自閉症の子どもを持つ親へのインタビュー、東田さんとデイヴィッド氏との交流などで構成されている。自閉症の子どもを持つ親にはもちろんのこと、自閉症の人と接する機会のそれほど多くない人にも観て欲しい番組だ。自閉症の人と出会った時のまなざしがきっと変わる。

東田さんの語ったことの中で印象深かったのは、子どもが一番見たいのは親の笑顔ということ。親が自分のせいで苦しんでいると思うとなりよりつらいという趣旨のことだ。自閉症に限らず、きっとすべての子どもに共通することなのだと思う。

子どもにも自分にも今後どんなことが起こるかわからない。子どもの前であっても泣きたい気持ちになる時があるかもしれない。これまで私も、子どもの前で涙を見せてしまったことが何回かある。親にそのつもりがなくても、子どもは自分のせいだと思ってしまうかもしれない。

子どもの前で笑顔でいることを心がけようと強く思った。

 

 

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

 

 

 

エアコンを買ってしまった

今日エアコンを買ってしまった。「しまった」という言い方になったのは、中古の家を購入し、この4月に引っ越して以降、エアコンを購入せずに生きる方法を模索していたからだ。電気代が多くかからないし、ベランダの室外機を置くスペースを広く使えるし、エアコン無しで過ごせる身体になれたら便利そうだし、など理由はほかにも様々ある。
インターネットでエアコン無しで過ごせる方法を検索した。図書館から本も借りた。エアコン以外の代用品は無いかと探しもしたけれど、扇風機以外どれもいまひとつ。ちなみに扇風機は2台ある。
涼しく過ごすための情報、例えば扇風機を窓に向ける、身体を冷やすものを食べる、扇風機の前に氷を置くなどの情報は多かったけれど、日本の夏をエアコンなしで過ごして大丈夫という確信を持てる情報はなかった。
一部の人がエアコン無しで生活しているとネット上に書いてはいたけれど、その人は涼しい地域に住んでいるのかもしれないし、家の構造もどんな感じがわからない。
涼しく過ごすための情報の最後は大抵、熱中症になることもあるので、無理はせずエアコンを、ということが書いてあった。
勝手な想像だけれど、うちには未就学児の子どももいるので、エアコンなしって、子どもに適切な環境を与えないということで虐待と捉えられる可能性もあると考えた。
それと、エアコン無しじゃ、客は呼べないなとも思った。
あと、これから働き始めて、暑すぎて万が一眠れなかったら次の日の仕事に響くとも考えた。
アズマカナコ著『電気代500円。贅沢な毎日』には、エアコンなしの暮らしが描かれており、私も真似したいな、と思うのだけど、著者は上級者な感じがした。無理せず少しずつ目指したい。
というわけで、何だかんだ言いながら保険と思ってエアコンを買った。12万ほどの出費。出来れば、買わなかったつもりでどこまで無しで過ごせるのか試したい。
部屋には温度計を設置した。

 

電気代500円。贅沢な毎日

電気代500円。贅沢な毎日